2021-04-23 第204回国会 衆議院 環境委員会 第7号
まさしく生活でありますから、小泉大臣も子供の頃のことをおっしゃって、地元の海のことをおっしゃっていましたが、実は私も、生まれたのは名古屋市内ですけれども、母親の実家が知多半島の先に内海という海の町がありまして、ですから、子供の頃よくそこで遊んで、私も、しっかりと環境問題に取り組まなくちゃいけないと思っていた一つに、原体験というか、やはりそういう子供の頃のあれがあるんですね。
まさしく生活でありますから、小泉大臣も子供の頃のことをおっしゃって、地元の海のことをおっしゃっていましたが、実は私も、生まれたのは名古屋市内ですけれども、母親の実家が知多半島の先に内海という海の町がありまして、ですから、子供の頃よくそこで遊んで、私も、しっかりと環境問題に取り組まなくちゃいけないと思っていた一つに、原体験というか、やはりそういう子供の頃のあれがあるんですね。
その原体験から、世の中の貧困と暴力を根絶したい、平和で豊かな社会がいつもいつまでも続く世の中をつくりたい、こんな思いで政治の道を志しました。 父と母は、私が小学校のときに離婚をいたしました。母は、私と妹二人、きょうだい三人を何とか養っていこうと早朝から深夜まで働きに出てくれましたが、働いても働いても生活は苦しくなるばかりでした。
それから、私の原体験として、二〇〇三年のイラク攻撃のときに、要は、大量破壊兵器があるんだ、フセインが大量破壊兵器を開発しているんだ、明確な証拠があるんだということで開戦に踏み切って、そのときには、小泉総理は全面的に支援をするということを言ったわけです、それを前提に。国会でも何度も何度もそのことを答弁された。しかし、戦争が終わってみたら、実際問題、大量破壊兵器は発見されなかった。
かつて川餓鬼、鬼怒川の川餓鬼であった塚原局長でありますので、川と人間との共存というのには、原風景として、原体験として御理解をいただけていると思いますので、更によろしくお願いします。 以上で質問を終わります。
非常に今変わってきておりまして、核家族化がまず進んでいる、出産年齢も上がっている、生殖医療技術も発達しているし、無痛分娩だとか帝王切開もふえているというようなさまざまな環境の変化があるんですが、産後ケアを論じていく上において、ここで特出ししておきたいのは、やはり、子育ての経験がないお母さんが多い、母親というのはこういうロールモデルなんだよねということを理解されているお母さんも昔ほど多くない、子育ての原体験
○小川勝也君 それで、私の原体験については先日もお話をさせていただきました。純農村地域でうちは村の鍛冶屋でありまして、どんどんどんどん農業者が離農していく、それに付随をして一戸当たりの経営面積がどんどん大きくなっていくという歴史を私はまざまざと見てきたわけであります。
(拍手) 私は、自分自身が母子世帯の貧困家庭で育った原体験から、世の中の貧困と暴力を根絶したい、平和で豊かな社会がいつもいつまでも続く世の中をつくりたい、こんな思いで政治の道を志しました。 父と母は、私が小学生のときに離婚しました。母は、私と妹二人、きょうだい三人を何とか養っていこうと早朝から深夜まで働いてくれましたが、働いても働いても、生活は厳しくなるばかりでした。
つまり、原体験として運動やスポーツに接する機会が制限されているというところから、長じて運動やスポーツに接するということが少なくなっているということがやはり問題として挙げられるというふうに考えております。
もう一点は、ドイツの場合には、もちろん福島以降更に原子力に対しては政策を強化されましたけど、それ以前の例のチェルノブイリのときの実被害を経験した、子育てに対してミルクが非常に不安だったり、そういう原体験があるものですから、極めて原子力に対してはネガティブな動きを国民としても合意が取りやすかったし、それに代わる再生可能エネルギーに対しても非常に合意が取りやすかったという、そういう事情があるので、若干やっぱり
私の震災の原体験というのは阪神大震災なんですね。私は大学三年生で、大学が西宮にありましたので直撃をされまして、もちろん授業も全部なくなりました。次の日に西宮北口という大きな駅までは電車が復旧しましたので、その日からボランティアで神戸の方に入っていましたけれども、正直、そのときの私の記憶の中では、残念ながら、ペットとかそういうところまで全く目が行っていなかったです。
先生が標榜された自然との共生は、子供のころの御自宅や軽井沢の豊かな自然の中でチョウを追った原体験に基づいた、自然を愛する心から発しているものであります。しかし、そればかりではなく、我々が及びもつかないほど遠い未来を見据えて、理想とする世界の実現という見果てぬ夢を追い続けておられたのかもしれません。
では、今日、それでEUはその後、ナチのユダヤ人狩りの原体験もございましたので、歴史的にも産業的にも幾分保護主義的な方向性に走られた。
成長過程の中で、自分の体験、原体験というか、自分のDNAに触れるというか、そういったことが、その後の成長してからの生活規範であったり食習慣であったりというのに影響するという部分がたくさんあるなというふうに自分の半生を顧みて思っているんですが。先ほど副大臣も、かつては一校しかなかったのが十校、二十校となってきた。
それは、戦時中の疎開で随分となじめなくてお互いに嫌な思いをしたのが原体験としてあるんだそうですが、田園移住というのは、単なる憧れではないけれども、それを確実な流れにするように、また委員始め皆様方のお知恵をお貸ししていただきたいと思っております。
それは、大都市で生まれようが何であろうが、地方の幾つかの旧制高校などで原体験で青春を送った人というのは意外とそういうところのことを大事にするという。ですから、流れが地方から大都市へ来るだけじゃなくて、大都市から地方にどういう形で、ずっと住み着けという話ではないんですけれども、体験をしてもらうような仕組みというものを考えなければいけないんじゃないかなと。
で、原体験、それは何かというと、原体験といえば、歴史、伝統、文化、その土地の歴史、伝統、文化であると思うんですね。そこの中で自分の考え、そして先人がまた育ててくれた社会的規範、ソーシャルノームというか、そういうものを得ていくと。共同体生活の中でそれを会得していくと。だからこそ、自分たちには自由の気概が出てくる、独立、自尊の気持ちも生まれてくる。私は、そういうのが地方だと思っております。
そして、私のその人口減少に対するおそれというのは、原体験からきているものであります。私が生まれた町は上川管内の和寒町という小さな町ですが、最盛期の人口は一万二千八百人いました。私が小学校へ入るときに八千六百人、今三千七百人です。小学校は一番多いときで十三校、あっという間に今一校です。これが北海道の農村と呼ばれるところのほぼ平均事例です。
町を囲む自然環境、山河や田畑、そして鎮守の森もありますし、悠久の歴史の中で先人が築き上げた伝統、文化を共同体の一環として町の中で習得していくことが、習得していく原体験こそが我々日本人のアイデンティティーでもあり、町のストック、資産でもあると思います。
これは、やっぱり原体験という、そういうものは非常に深い心の亀裂にもなっているわけですね、病気にも。
こういう原体験があります。それが多分あったんだろうと私は思います。やはりこれはちゃんとやってもらわなくちゃならない。 それで、立派な国は立派な国でちゃんとやっているんですよ。
まさに伊達市の子供たちの明日を生きるエネルギーとしての原体験づくりにつながっていると確信するところでありますけれども、見附市の方々から受けた思いやりや親切を他者に伝える心の芽生え、あるいは被曝リスクのためにふるさとでの活動を制限された子供たちの原風景としてのいわゆる心のふるさとづくりの意義も包摂しているところではないかというふうに思います。