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119件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2021-04-23 第204回国会 衆議院 環境委員会 第7号

まさしく生活でありますから、小泉大臣子供の頃のことをおっしゃって、地元の海のことをおっしゃっていましたが、実は私も、生まれたのは名古屋市内ですけれども、母親の実家が知多半島の先に内海という海の町がありまして、ですから、子供の頃よくそこで遊んで、私も、しっかりと環境問題に取り組まなくちゃいけないと思っていた一つに、原体験というか、やはりそういう子供の頃のあれがあるんですね。  

近藤昭一

2020-02-25 第201回国会 衆議院 予算委員会第四分科会 第1号

その原体験から、世の中貧困暴力を根絶したい、平和で豊かな社会がいつもいつまでも続く世の中をつくりたい、こんな思い政治の道を志しました。  父と母は、私が小学校のときに離婚をいたしました。母は、私と妹二人、きょうだい三人を何とか養っていこうと早朝から深夜まで働きに出てくれましたが、働いても働いても生活は苦しくなるばかりでした。  

中谷一馬

2020-01-17 第200回国会 衆議院 安全保障委員会 第9号

それから、私の原体験として、二〇〇三年のイラク攻撃のときに、要は、大量破壊兵器があるんだ、フセインが大量破壊兵器を開発しているんだ、明確な証拠があるんだということで開戦に踏み切って、そのときには、小泉総理は全面的に支援をするということを言ったわけです、それを前提に。国会でも何度も何度もそのことを答弁された。しかし、戦争が終わってみたら、実際問題、大量破壊兵器は発見されなかった。

前原誠司

2018-07-06 第196回国会 衆議院 厚生労働委員会 第33号

非常に今変わってきておりまして、核家族化がまず進んでいる、出産年齢も上がっている、生殖医療技術も発達しているし、無痛分娩だとか帝王切開もふえているというようなさまざまな環境の変化があるんですが、産後ケアを論じていく上において、ここで特出ししておきたいのは、やはり、子育ての経験がないお母さんが多い、母親というのはこういうロールモデルなんだよねということを理解されているお母さんも昔ほど多くない、子育て原体験

繁本護

2018-03-30 第196回国会 衆議院 本会議 第14号

(拍手)  私は、自分自身母子世帯貧困家庭で育った原体験から、世の中貧困暴力を根絶したい、平和で豊かな社会がいつもいつまでも続く世の中をつくりたい、こんな思い政治の道を志しました。  父と母は、私が小学生のときに離婚しました。母は、私と妹二人、きょうだい三人を何とか養っていこうと早朝から深夜まで働いてくれましたが、働いても働いても、生活は厳しくなるばかりでした。  

中谷一馬

2017-04-19 第193回国会 参議院 資源エネルギーに関する調査会 第5号

もう一点は、ドイツの場合には、もちろん福島以降更に原子力に対しては政策を強化されましたけど、それ以前の例のチェルノブイリのときの実被害を経験した、子育てに対してミルクが非常に不安だったり、そういう原体験があるものですから、極めて原子力に対してはネガティブな動きを国民としても合意が取りやすかったし、それに代わる再生可能エネルギーに対しても非常に合意が取りやすかったという、そういう事情があるので、若干やっぱり

中上英俊

2016-12-08 第192回国会 衆議院 東日本大震災復興特別委員会 第4号

私の震災の原体験というのは阪神大震災なんですね。私は大学三年生で、大学が西宮にありましたので直撃をされまして、もちろん授業も全部なくなりました。次の日に西宮北口という大きな駅までは電車が復旧しましたので、その日からボランティアで神戸の方に入っていましたけれども、正直、そのときの私の記憶の中では、残念ながら、ペットとかそういうところまで全く目が行っていなかったです。

浦野靖人

2016-09-28 第192回国会 衆議院 本会議 第3号

先生が標榜された自然との共生は、子供のころの御自宅や軽井沢の豊かな自然の中でチョウを追った原体験に基づいた、自然を愛する心から発しているものであります。しかし、そればかりではなく、我々が及びもつかないほど遠い未来を見据えて、理想とする世界の実現という見果てぬ夢を追い続けておられたのかもしれません。  

二階俊博

2016-04-05 第190回国会 参議院 農林水産委員会 第5号

成長過程の中で、自分体験原体験というか、自分のDNAに触れるというか、そういったことが、その後の成長してからの生活規範であったり食習慣であったりというのに影響するという部分がたくさんあるなというふうに自分の半生を顧みて思っているんですが。先ほど副大臣も、かつては一校しかなかったのが十校、二十校となってきた。

高橋克法

2015-04-22 第189回国会 参議院 国の統治機構に関する調査会 第3号

それは、大都市生まれようが何であろうが、地方の幾つかの旧制高校などで原体験で青春を送った人というのは意外とそういうところのことを大事にするという。ですから、流れ地方から大都市へ来るだけじゃなくて、大都市から地方にどういう形で、ずっと住み着けという話ではないんですけれども、体験をしてもらうような仕組みというものを考えなければいけないんじゃないかなと。  

佐々木信夫

2015-04-22 第189回国会 参議院 国の統治機構に関する調査会 第3号

で、体験それは何かというと、原体験といえば、歴史伝統文化、その土地の歴史伝統文化であると思うんですね。そこの中で自分の考え、そして先人がまた育ててくれた社会的規範、ソーシャルノームというか、そういうものを得ていくと。共同体生活の中でそれを会得していくと。だからこそ、自分たちには自由の気概が出てくる、独立、自尊の気持ちも生まれてくる。私は、そういうのが地方だと思っております。  

田中茂

2014-06-03 第186回国会 参議院 農林水産委員会 第15号

そして、私のその人口減少に対するおそれというのは、原体験からきているものであります。私が生まれた町は上川管内の和寒町という小さな町ですが、最盛期人口は一万二千八百人いました。私が小学校へ入るときに八千六百人、今三千七百人です。小学校は一番多いときで十三校、あっという間に今一校です。これが北海道の農村と呼ばれるところのほぼ平均事例です。

小川勝也

2013-05-09 第183回国会 参議院 文教科学委員会 第5号

まさに伊達市の子供たちの明日を生きるエネルギーとしての原体験づくりにつながっていると確信するところでありますけれども、見附市の方々から受けた思いやりや親切を他者に伝える心の芽生え、あるいは被曝リスクのためにふるさとでの活動を制限された子供たち原風景としてのいわゆる心のふるさとづくりの意義も包摂しているところではないかというふうに思います。  

那谷屋正義